孔子は中庸が大事、と説いています。それと同時に中庸の精神で生活している人は少ないとも言っています。そう、中庸ってとても難しいんです。
今まさに、旅するブヒ展の出来事をブラッシュアップ中。もう4か月近く前のことなのに、記事加筆しながらどんどんイライラしてきたよ(笑)
本当に中庸って難しいね!!!
中庸って何?
何事にも偏らずに、中間を保つことが良い、って話です。
陰陽五行にもつながるのではないでしょうか。あれも、中間に近づけましょうって話です。
何だ!!当たり前じゃん!!って思うかもしれません。でも私を含めて、全然できてない人が多いです。
例えば、デブ。これは食べすぎで運動しなさすぎ。中庸からかけ離れていると思いませんか?
食生活だけじゃありませんよ。メンタル面だってそうです。
ものすごくネガティブな人っていますよね。何でそんな風に考えるの?っていう人。
これも、思考が偏りすぎで良くない。ネガティブな人で幸せそうな人を見たことがない。
引き寄せの法則って中庸の法則なんじゃないか?
思考は現実化するって本が有名ですよね。んで、信じた人が一生懸命ポジティブであろうとする。頑張って頑張って、狂ったようにポジティブ思考するんですが、全然幸せが引き寄せられない。
実際、私がそうでした。無理して、ポジティブに考えようとすればするほど、苦しいんです。↓引き寄せの法則、感謝中毒になってた頃の私の文章
これは中庸的に考えると説明がつくのではないでしょうか。
ポジティブなことを考えすぎて、逆にネガティブなことが引き寄せられてしまう。
私が一番調子が良かった時は、ポジティブ過ぎず、ネガティブ過ぎす、ニュートラルな感情だった時です。この時はいいことがいっぱいありましたよ。
物事に善悪はない、決めているのは自分の心
物事に善悪はありません。決めているのは自分自身です。っていうのをユーチューブで聞いた時、私ははっとしました。
だって、戦国時代や他国と戦争中の時は、敵を殺せば殺すほど称賛されていたと思います。でも、今では人殺しは許されません。
その時代、その時の環境、その時の人々によって、価値観が決められているだけなんです。戦争時代に、アメリカ兵を殺してはいけない、なんてふれ回ったら、非国民として逮捕されていたかもしれません。
そのぐらい、価値観って簡単に決められやすいんです。
その時によって、価値観は操作され、偏る。中庸から大分離れています。
中庸の精神でいるにはどうするか
これがものの見方って話につながるんだと思います。
引き寄せの法則に狂っていた時に、私は色々な引き寄せブログに訪問し、メルマガに登録しました。
その度にでてくるキーワードが、”ものの見方””客観的に見る”です。
私の敬愛する、まるかんの社長斎藤一人さんも、人間っておもしろいね、という話の中で、物の見方が人それぞれ違うんだって話をしています。
斎藤一人さんの話が面白いのは、私と全然違う見方の話をするから。
私は”死神”ってワードに悪いイメージしかなかったんですが、
斎藤一人さんは、”神”とつくものに悪いものはない。と言っていました。
だって、死神が命をとってくれないと死ねないんだよ。と、
病気やケガで苦しんでいる人が永遠に死ねないってこれは拷問ですよね。
死神がいるおかげで、苦痛から解放される。そう考えると死神だって悪い神様じゃないなって思えるようになりました。
ものの見方って大事です。
まとめ
とは言っても、中庸でいるっていうのはすごく難しいです。
私はすぐに怒ってしまいます。これが、客観的に見れればそう怒ることもなくなるとは思うんですがね。気性が荒いので。
物事を俯瞰して、客観的に見られるようになれば、人生楽に生きられると思います。
引き寄せの法則→中庸の順に私のブームが来ています。
そして今は諦めるというブームがきています(笑)
これも中庸に繋がるのではないか、と個人的には思っています。
諦めるって執着を捨てることと言い換えることはできませんか?
執着しているものを捨てる→中庸に戻るってことです。
あの斎藤一人さんも、諦めるっていうのが大事と仰っています。
斎藤一人さんの話が更におもしろいのは、諦めのベクトルです。
私はFXが大好きです。負けてもやめられません。
普通なら、FXに執着している私はダメだ。なんとかしてFXをやめなければって思いますよね。
でも、斎藤一人さんは違います。
FXが好きで好きで諦めることができない自分を諦めなさいって言うんです。
これ、すごい考え方だと思います。
FXが好きなのに、やめなければ!!とひたすら考えることがもうある種の執着になっています。
私はこんな人間で、仕方がないっと諦める。
こっちの方が中庸に近い!!!
中庸道は本当に奥が深いです。